魔術・序章

「魔術」は、「最上」かつ最も「絶対的」にして最も「神聖」な「自然哲学」の「知」であり、事物の霊的な隠秘の美徳に関する正しい理解により、その作業と驚嘆すべき操作は高等なものである。したがって真の「動作者」が適切な「受動者」に適用されるならば、新奇で見事な効果が生み出されるであろう。そのため、魔術師たちは該博で勤勉な「自然」の探究者なのである。彼らは、自らの技量により、卑俗な者には奇蹟としか思われない効果も予測する術を心得ている。

ーーー ソロモン王のレメゲトン、或いはゴーティア ---

交感魔術が純粋で真正な形で起こる場合には、必ずこういう想定がある。自然において霊的ないしは人為的な作因の介在がなくとも、出来事の連続は必然的かつ不変的に生起する、と考えられているのである。

だから、魔術の根本概念は近代科学のそれと同じであり、体系全体に通底するものは、自然の秩序と斉一性への暗黙の真に堅固な信仰である。原因が同じであれば結果も常に同じだということ。

魔術を公然と信仰することは人々が至高の力へ到達する道のひとつであったので、伝統への隷属状態から人類を開放し、広汎な世界観を抱かせて一層大きく自由な生へと高めることに魔術は貢献してきた。これは人間性のために尽くした奉仕としては小さいものではない。また、別の方向で魔術は科学への道を敷いてきたことをも想起する時、私たちはこう認めざるを得ない。黒魔術が多大な悪を行ってきたとしても、それは同時に多大な善の源泉でもあったということ、つまり、それが誤謬謬の落とし子だと、自由と真理の生みの親でもあったということをである。

ーーー J・G・フレイザー博士「金枝編」 ---