「現世」での幸福を願う「魔術や呪術」

魔術や呪術で言う魔力とはいったいどの様な力を言うのでしょうか?

魔術や呪術でよく言われる魔力と似たものに「超能力」と呼ばれるものがあります。魔術・呪術の力や超能力によって、起こす事柄はどちらも似たようなものです。普通なら出来ないようなことを、超自然的に起こしてしまう。もちろん、その結果は魔力・呪術や超能力を使ったものにとって有利になるものです。そういった超自然的現象を起こすための儀式を魔術とか呪術とか言っていたのです。もちろん、その魔術や呪術の儀式を行うには神の前での儀式と同様「決まり」があります。それは現在、神への祈りの言葉「祝詞」を使うように魔術や呪術でも同様に「魔術や呪術での魔」に聞き入れてもらうための「言葉」や「儀式」が必要です。

では、「超能力」と「魔術・呪術の魔力」との違いとはなんでしょう。

簡単に言ってしまえば、「超能力」は自分自身の精神に存在する力であってある意味自分自身の持っている力ですが、「魔術・呪術の魔力」というのは、自分自身の内面の望みを「魔」に伝え叶えてもらうものです。 だからこそ、超能力を使うことのできない様な「弱い人達」でも魔術や呪術を行うことができるのです。また、魔術・呪術を行うということは「魔術・呪術における魔」の存在を信じ、「魔術・呪術における魔」を崇め奉る所から始まるとも言えるかもしれません。当然「魔術・呪術における魔」を信じられない方が魔術・呪術を行ってもそれは聞き入れてもらえるとは思えません。

では、「魔術・呪術における魔」はいったい何処に存在するというのでしょうか? それ以前に本当に存在するものなのでしょうか?

あなたも「魔術・呪術における魔」の存在を信じますか?

もちろん、私たちは「魔術・呪術における魔」の存在を信じています。 そして「魔術・呪術における魔」は地球と宇宙の間に存在すると言われているのです。これが一番信じられる言葉だと思います。一般に、「悪魔」などというと、地底の奥深くに存在すると言われていますが、これはあり得ないような気がします。地質学的にも、何者かが存在出来るような場所ではないからです。しかし、先程の説では、地球の外側、電離層の外側あたりに「魔術・呪術における魔」が存在するというのです。

ですから、「魔術・呪術における魔」と言うのは人間の目で見えるような3次元的な姿で存在するのではないのです。所謂、精神的な存在、精神力の塊、エクトプラズマ的な存在だと考えているのです。もちろん、その存在はキリスト教が広まる前はたくさんの「神」として存在していたのです。

キリストを唯一の「神」としたキリスト教により、それらの「神」は「悪魔」「魔」と名前を変えられてしまったのです。そして、魔術や呪術というのはそれら「神」に対する祈りであり、「神」に対し願いを聞き届けて貰うための儀式だったのです。

つまり、今の神に対する祈りや儀式と何ら変わらないものなのです。

まるで不浄のもののように言われる魔術や呪術も、元をただせば「神を崇め奉る儀式」だったのです。ただ、今の「神」に対する祈りなどとは多少違う所があります。それは、今の神が「死後の幸福」「死後の安らぎ」を求めるのに対し、昔の神々、今の「魔術・呪術における魔」は「現世での幸福」を求めていたのです。また、自らの心の中にある「神」や「魔」に対して命令したり祈願したりするのですから他人を頼むよりも確実です。その力を大きくするために「魔術・呪術」はあるのです。

さて、あなたは「死後の幸福」と「現世での幸福」のいったいどちらを求めますか?