「九十歳。何がめでたい」?人生の停滞を破る、90歳作家×中年編集者の痛快コメディ!笑って泣ける、最高の再生物語が今、幕を開ける!
人生の「潮時」は、一体いつやってくるのでしょうか? 輝かしいキャリアを終え、誰もが羨むような年齢に達したとしても、心の中には満たされない虚しさや、社会からの疎外感を感じることもあるかもしれません。しかし、そんな停滞した日常に、予期せぬ出会いが訪れ、新たな人生の扉が開かれるとしたら?
映画『九十歳。何がめでたい』は、まさにそんな希望とユーモアに満ちた、大人のための再生物語です。主人公は、齢九十にして「断筆宣言」をしたものの、毎日をぼんやりと眺めて過ごす佐藤愛子(草笛光子)。世間からは「偉大な作家」と称えられても、彼女自身の心は鬱々とした気持ちで満たされています。同じ家に住む娘の響子(真矢ミキ)や孫の桃子(藤間爽子)は、彼女の孤独な気持ちに気づくことなく、それぞれの生活を送っています。愛子にとって、九十歳という年齢は、決して「めでたい」ものではありませんでした。
一方、同じ頃、大手出版社に勤める中年編集者の吉川真也(唐沢寿明)もまた、人生の袋小路にいました。昭和気質なコミュニケーションが現代ではパワハラやセクハラだと問題視され、謹慎処分を受けてしまいます。仕事での挫折に加え、妻や娘にも愛想を尽かされ、公私ともに悶々とした日々を送っていました。彼にとって、人生はまさに「何がめでたい」状態。
そんな二人の、決して順風満帆とは言えない人生が、ある日、意外な形で交錯します。吉川が所属する編集部で、断筆宣言をしたはずの愛子の「連載エッセイ企画」が持ち上がったのです。そして、この難題を、謹慎中の吉川が愛子を口説き落とし、担当編集となることで、二人の新たな物語が幕を開けます。
この映画の魅力は、何と言っても、草笛光子と唐沢寿明という、実力派俳優二人が織りなす絶妙なユーモアと人間ドラマにあります。90歳という高齢でありながら、世の中への鋭い視点と辛辣な皮肉を忘れない愛子と、現代の価値観に戸惑いながらも、どこか憎めない昭和の男・吉川。最初こそかみ合わない二人のやり取りは、時にコミカルに、時に心温まる形で描かれ、観客を笑顔にします。
愛子の言葉は、単なる愚痴ではありません。それは、時代が移り変わる中で、取り残されたと感じる高齢者の本音であり、同時に、人間の普遍的な感情をユーモラスに表現しています。そして、吉川は、愛子の言葉と向き合う中で、自分自身の凝り固まった価値観や、見失っていた大切なものに気づかされていきます。世代間のギャップや、社会の変化といった普遍的なテーマが、この二人の関係を通して、深く、しかし決して重くなりすぎずに描かれているのです。
草笛光子演じる愛子の姿は、多くの観客に共感と勇気を与えるでしょう。年齢を重ねても、諦めないこと。自分の感情に正直でいること。そして、新しいことに挑戦する気持ちを持ち続けること。彼女の生き様は、私たち自身の「これから」を考えるきっかけを与えてくれます。また、唐沢寿明演じる吉川の葛藤と成長も、見どころの一つです。パワハラやセクハラが問題視される現代において、彼の「昭和気質」がどう変化し、新たな自分を見つけていくのかは、多くの社会人が共感できるテーマとなるでしょう。
本作は、単なるコメディ映画ではありません。人生の挫折や孤独、そしてそこから立ち直る「再生物語」として、観る者に深い感動を与えます。年齢や立場、性別を超えて、誰もが抱える悩みや、人間関係の難しさ、そしてそれでもなお人生の喜びを見つけ出すことの大切さを教えてくれます。特に、定年を迎えたり、キャリアの転換期にいたりする世代の心には、深く響くメッセージが込められているはずです。
『九十歳。何がめでたい』は、2024年の映画製作委員会が贈る、笑いと涙、そして希望に満ちた感動作です。©佐藤愛子/小学館の原作小説が持つ、鋭い人間観察とユーモアが、草笛光子と唐沢寿明という最高のキャストによって、見事に映像化されています。
この映画は、あなた自身の人生を、そして周りの人々との関係性を、もう一度見つめ直すきっかけを与えてくれるでしょう。果たして、愛子は再び筆を執り、吉川は人生の再起を図れるのでしょうか? そして、二人は九十歳を、そして人生を、「めでたい」と思えるようになるのでしょうか?