【最愛の娘が宿る人形】「死」が引き起こした恐怖の連鎖。哀しみが狂気に変わる時、家族の絆は断ち切られるのか?捨てても戻る人形が問う、親の「愛」と「忘却」の罪。

その愛らしさは、狂気への入り口だった

愛するわが子を失う――それは、親にとって想像しうる限り、最も深い絶望です。映画『ドールハウス』は、五歳の娘・芽衣を亡くした鈴木夫妻が、その耐えがたい哀しみを埋めるために見つけた一体の「人形」から始まる、戦慄と悲哀の物語です。

妻・佳恵は、骨董市で見つけた芽衣によく似た愛らしい人形を溺愛することで、心の傷を癒やそうとします。人形がもたらす一時の安らぎは、確かに佳恵を深い闇から救い出しました。しかし、夫婦の間に新たな命、娘・真衣が生まれると、彼らの心は新しい娘へと移り、人形に対する関心は薄れていきます。この「愛の転換」こそが、物語の歯車を狂わせる始まりとなります。

この作品の最大の魅力は、単なるホラーではなく、親の持つ「愛情」と「忘却」という複雑な感情を核に、静かに、そして確実に恐怖が積み重ねられていく点にあります。私たちは、人形を愛した佳恵の気持ちも、新しい娘に夢中になる佳恵と忠彦の気持ちも理解できます。だからこそ、その裏で「置き去りにされた人形」が発する不気味な気配に、より強い罪悪感と恐怖を覚えるのです。

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感想として、私はこの映画を通じて、「愛は時に、最も恐ろしい呪いになる」という普遍的なテーマを痛感しました。五歳に成長した真衣がその人形と遊び始めた頃から、一家に次々と降りかかる不可解な出来事は、単なる超常現象ではありません。それは、芽衣の記憶を、あるいは忘れ去られた人形の魂が、自分たちの存在を必死に訴えかけているかのようです。

佳恵たちが人形を手放そうとするも、捨てても捨てても、なぜか人形は必ず家に戻ってくるという描写は、彼らが過去の悲しみや、人形に注いだ「愛」という名の執着から、決して逃れられないことを象徴しています。観客は、人形の背後に見える失われた娘の面影に、胸を締め付けられながらも、この家族の崩壊の行方から目を離すことができなくなります。

もしあなたが、単に驚かされるだけのホラーではなく、人間の心の闇と、家族愛という名の複雑な感情が織りなす、深い心理的な恐怖を求めているなら。

この『ドールハウス』は、あなたの心を抉り、忘れがたい衝撃と問いを残すでしょう。