夢と後悔が胸を打つ、東村アキコの自伝的名作が映画化。かくかくしかじか。スパルタ教師日高先生と明子の戦いと青春の全記録。恩師がついた嘘と届かなかった想い。九年間の沈黙を破り語られる、描くことの真髄と涙。

描けなかった九年間の告白:私たちはいつも、失ってから師の愛を知る
才能を信じて疑わず、それでいてどこまでもぐうたらで甘ったれだった高校生の明子。彼女の物語は、宮崎の片田舎にある、竹刀を振り回すスパルタ絵画教師・日高先生との出会いから大きく動き出します。『かくかくしかじか』は、一人の少女が漫画家という夢を掴み取るまでの輝かしい成功譚ではありません。それは、自分を導いてくれた恩師に対する、あまりにも遅すぎた「謝罪」と、今も消えない「後悔」を綴った、血を吐くような独白の記録です。
本作の最大の魅力は、日高先生という不器用なほどに純粋な教育者と、若さゆえに傲慢で身勝手だった明子の、激しくも温かい交流にあります。「描け、描け、描け」。日高先生が放ち続けたその言葉は、単なる技術の向上を求めたものではありませんでした。それは、いつか一人で荒波の中に漕ぎ出していく教え子に、表現者としての「命の守り方」を教えようとする、不器用な愛の形でした。その重みに気づかず、東京の華やかさに憧れ、嘘を重ねて先生から逃げ出してしまった明子の姿は、かつて若者だった誰もが抱く、身を焦がすような羞恥心を呼び覚まします。
実際に物語に触れて深く心を打たれたのは、明子が売れっ子漫画家として成功を収めながらも、心の一角にずっと日高先生という棘を刺したまま生きていた九年間の描写です。恩師の期待を裏切り、顔を見せることすらできずに過ぎ去った時間。先生が末期癌に侵されていると知ってもなお、逃げ出そうとした自分への嫌悪。読み進めるうちに、読者の胸には「自分にも、あんな風に叱ってくれる大人がいただろうか」という問いと、会えなくなってしまった大切な人への思慕が、波のように押し寄せます。
映画版では、その厳しくも豊かな宮崎の風景と、アトリエに漂う油絵の具の匂いまでもが伝わってくるような臨場感で、二人の時間が描き出されています。明子がついた「許されない嘘」と、それに対して先生が示した「最期の慈しみ」。その結末に触れたとき、私たちは知るのです。描くことは生きることであり、誰かを思い続けることは、その人の言葉を自分の人生に刻みつけることなのだと。
『かくかくしかじか』は、何者かになりたいと願うすべての人、そして、かつて自分を導いてくれた誰かを想うすべての人へ捧げられた、究極の人間賛歌です。スクリーンを埋め尽くす情熱と、エンドロールが流れても止まらない涙の先に、あなたはきっと、しばらく手に取っていなかった筆やペンを握りたくなるはずです。「描け」という日高先生の怒号は、今を生きる私たちの背中を、優しく、しかし力強く押し続けてくれます。






















