やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃(小学館文庫) やわら侍・竜巻誠十郎(小学館文庫)時は享保年間。八代将軍徳川吉宗は大衆の窮状に直接耳を傾ける画期的な政策を実施した。世にいう目安箱である。目安箱を管轄する御用取次の加納久通は、お取り上げにならなかった

雨に打たれる薄明かりの午後、都心の片隅にひっそりと佇む古書店「月影堂」。店内は懐かしい紙の香りと時の流れを感じさせる静寂に包まれていた。そこに、ひときわ目を引く一冊の文庫本があった。その表紙には、重厚ながらも美しい筆文字で「やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃(小学館文庫)」と刻まれている。

主人公の青年・涼太は、ふと手に取ったその本に、不思議な運命を感じた。表紙をそっとめくると、物語の始まりを告げる一文が、まるで古の風がささやくかのように心に響く。

――時は享保年間。幕府は八代将軍徳川吉宗のもと、大衆の苦しみに直接耳を傾けるため、革新的な政策「目安箱」を実施していた。

物語は、目安箱を管轄する御用取次の加納久通が、数多の訴えの中に潜む看過できぬ真実に気づき、ひそかに調査を始めるところから展開する。久通は、一度闇に葬られた訴状の中に、国の未来を揺るがす重大な謎を見出し、その解明のため「目安箱改め方」という秘密の調査体制を設置する決意を固める。そして、彼の手により白羽の矢を立てられたのは、剣を携えることなく、想身流柔術を駆使する孤高の侍、竜巻誠十郎であった。

涼太は、本の中で描かれる誠十郎の姿に次第に心を奪われる。彼は、決して刀を振るわず、むしろその静かな眼差しと、柔らかな身のこなしで相手の心と技を見抜く。誠十郎の戦いは、激しい剣戟や血潮の乱舞ではなく、静謐な知略と、己の信念に基づいた行動であった。加納久通の命を受け、誠十郎は民衆の苦しみと幕府の裏に潜む陰謀の狭間で、ひそやかに真実を探る旅に出る。

店先の窓から、やわらかな五月雨がしとしとと降る様子を見つめながら、涼太はふと思った。「もし、この物語の世界に自分が入り込むことができたら…」と。彼の想像は、次第に現実と夢の境界を曖昧にし、心の奥底に眠る武士道への憧れや、正義への強い願いを呼び覚ます。

その夜、涼太は自室の小さな机に座り、ろうそくの灯りの下で再び『やわら侍・竜巻誠十郎 五月雨の凶刃』のページをめくった。物語の中で、加納久通が密かに仕掛けた「目安箱改め方」により、闇に葬られた訴状の真実が徐々に明らかになっていく様は、まるで月光に照らされた江戸の裏通りを彷徨うかのような幻想的な情景を伴っていた。

ページを進めるたびに、涼太の心は熱くなり、彼はその物語の一部となったかのように感じた。現代の雑踏から離れ、遥か昔の江戸の情緒と、人々の切実な叫びが交錯する世界。そこでは、ただ一人の侍が、己の柔術の極意と、揺るぎない正義感で、民のために立ち向かっていた。

この本は、新・江戸川乱歩賞作家による書き下ろし長編時代小説シリーズの第一弾として、読者に新たな歴史の扉を開く。『やわら侍・竜巻誠十郎』シリーズは、続編へと続く壮大な物語への入り口であり、正義と悲哀、そして人間の尊厳を静かに描き出している。

翌朝、涼太はふと、あの古書店で出会った不思議な縁を胸に、友人たちにこの本の魅力を語り始めた。彼の語る物語は、ただの歴史小説を超え、現代に生きる我々に、正義と人間性、そして伝統の重みを改めて問いかけるものだった。

そして、雨上がりの澄んだ空の下、涼太の中で、竜巻誠十郎の生き様と、彼が挑む謎解きの旅が、確かな一筋の光となって、未来へと続く新たな物語の幕開けを告げたのだった。