「銀河鉄道の父」数多くの傑作を残した宮沢賢治。その父・政次郎との究極の親子愛を描いた第158回直木賞受賞作。政次郎の長男・賢治は、適当な理由をつけては金の無心をするような困った息子。政次郎は厳格な父親であろうと努めるも、賢治のためなら
『銀河鉄道の父:宮沢家の物語』
プロローグ
明治29年(1896年)、岩手県花巻町の質屋を営む宮沢政次郎は、京都への出張中に長男誕生の知らせを受ける。急ぎ帰郷した彼は、生まれたばかりの息子と対面し、写真家である弟・治三郎の提案で「賢治」と名付けた。
第一章:父と子の絆
政次郎は厳格ながらも子煩悩な父親で、浄土真宗の熱心な信者だった。家業は繁盛し、家庭も円満。賢治が7歳の頃、赤痢で入院すると、政次郎は病院に泊まり込みで看病し、わらべ歌を歌って寝かせた。
第二章:賢治の成長と葛藤
賢治は成績優秀だったが、悪戯好きな面も持ち合わせていた。妹のトシと石集めに没頭し、「石っこ賢さん」と呼ばれるようになる。中学進学時、祖父は反対したが、政次郎は自身の経験から進学を許可した。
第三章:信仰と進路の選択
19歳になった賢治は法華経に傾倒し、農民の苦しみを理解しようと盛岡高等農林学校に入学。卒業後はドロップ工場や人造宝石の製造などの夢を語るが、政次郎は呆れる。しかし、農学校の教員となり、童話の執筆にも力を入れる。
第四章:妹トシの病と家族の絆
妹のトシは優秀な頭脳の持ち主で、日本女子大学へ進学するが、病に倒れ実家に戻る。結核を患ったトシに、賢治は自身の童話を読み聞かせ、最期の時を共に過ごす。
第五章:賢治の創作と父の支え
賢治は作家を目指し、父の期待を裏切るが、政次郎は応援し続ける。賢治の詩が新聞に掲載されると、政次郎はその新聞を大量に購入し、近所に配るほどだった。
第六章:賢治の病と最期
賢治が病に倒れると、政次郎は必死に看病するが、賢治は妹トシのもとへ旅立つ。生前の約束を果たすため、政次郎は賢治の作品を世に広める努力を続ける。
エピローグ
賢治の三回忌、宮沢家には孫たちが集まり、政次郎は未完成の『銀河鉄道の夜』を朗読する。家族の絆と賢治の遺した作品が、新たな世代へと受け継がれていく。
この物語は、宮沢賢治とその家族の絆、そして父・政次郎の深い愛情を描いた作品です。賢治の創作の背景には、家族との関わりや支えが大きく影響していたことが伝わってきます。