米津玄師が描く教育番組の深淵。「きょういくばんぐみのテーマ やみの おねえさん」に込められた毒と救い、そして音楽的衝撃。最新アルバムLOST CORNERに隠された異彩を放つ一曲を、感情に訴える言葉で徹底解説。

光溢れるきらびやかな世界の裏側には、必ず深い影が潜んでいます。米津玄師の最新アルバム「LOST CORNER」に収録された「きょういくばんぐみのテーマ やみの おねえさん」は、そのタイトルからは想像もつかないほど、私たちの心の深淵を鋭く抉り出す衝撃作です。子供向け番組の皮を被りながら、その実、大人たちの胸の奥に澱のように溜まった孤独や虚無を、鮮やかに、そして残酷なほど美しく描き出しています。この楽曲を耳にした瞬間、私たちはかつて見た夕暮れ時の言いようのない不安の中へと引き戻されるのです。
この曲の最大の特徴は、あまりにも倒錯した音楽表現にあります。どこか懐かしさを感じさせる教育番組特有のキャッチーな旋律が、米津玄師の手によって歪められ、不穏な響きを帯びて反復されます。明るく振る舞いながらも、その瞳の奥には一切の光を宿していない「おねえさん」の姿が浮かび上がってくるような、冷徹でいて官能的な世界観。聴き進めるうちに、日常と非日常の境界線が曖昧になり、私たちは彼が構築した奇妙な迷宮の中に迷い込んでしまいます。
実際にこの楽曲をスピーカーから流してみると、その音像の立体感に圧倒されるはずです。使用感として特筆すべきは、耳元で囁くような低域のボーカルと、背後で不気味に蠢くエレクトロニックなノイズのコントラストです。まるで誰かに監視されているかのような、あるいは自分自身の内なる闇が形を持って語りかけてくるような、唯一無二の聴覚体験。聴くたびに精神の深い部分が揺さぶられ、快感と恐怖が交互に押し寄せるその感覚は、現代の音楽シーンにおいても極めて異質であり、かつてないほど刺激的です。
米津玄師という表現者は、常に「正しさ」や「清らかさ」の裏側にあるものを凝視し続けてきました。この曲で描かれる「やみの おねえさん」は、もしかすると、規律や調和を強要される現代社会で、必死に自分を保とうとする私たち自身の投影なのかもしれません。作り笑いの裏に隠した絶望を、彼は音楽という名の「遊び」に変えることで、皮肉にも私たちの魂を救済しようとしているように感じられます。
アルバムの構成においても、この楽曲が放つ存在感は異彩を放っています。他の壮大なバラードや躍動感溢れるポップソングに挟まれることで、その歪な美しさはより一層際立ちます。一度聴けば、その奇妙なフレーズが頭から離れなくなり、無意識のうちに口ずさんでしまう。それはまるで、逃れられない呪縛のようであり、同時に抗いがたい抱擁のようでもあります。
見終えた後、あなたは日常の景色の中に「闇」の気配を感じるようになるかもしれません。しかしそれは、決して恐ろしいことではありません。米津玄師が提示するこの楽曲は、影があるからこそ光が際立つという真理を、最も毒々しく、そして最も誠実な形で教えてくれます。「きょういくばんぐみのテーマ やみの おねえさん」を聴き終えた時、あなたの心には、今までとは全く異なる種類の強さが宿っているはずです。






















