葛飾北斎の娘、お栄の破天荒な生涯を描く「おーい、応為」が待望の映画化。離縁から始まった天才父娘の共同生活と、光と影を操る江戸の女絵師が辿り着いた富士の絶景。運命に抗い、筆一本で時代を突き抜けた魂の物語。

江戸の空が茜色に染まる頃、ボロボロの長屋からは筆を走らせる音と、小気味よい罵声が聞こえてきます。世界にその名を知られる天才絵師、葛飾北斎。その傍らで、父に負けぬ情熱を持ってキャンバスに向かう一人の女性がいました。彼女の名はお栄、のちの葛飾応為。夫の拙い絵を歯に衣着せぬ言葉で批判し、嫁ぎ先を飛び出してきた彼女が、父という名の師匠と過ごした歳月。それは、自由を渇望する一人の表現者が、己の魂を削りながら「真実の色彩」を追い求めた、あまりにも激しく、切実な旅路でした。
本作「おーい、応為」は、北斎の娘という影の存在ではなく、一人の自立した絵師としての応為にスポットを当てた、至高の人間ドラマです。父から「おーい!」と呼ばれ続けたことが名の由来という、一見ユーモラスな逸話の裏側には、血の繋がりを超えた師弟としての凄まじい執念が潜んでいます。ゴミが散乱し、描きかけの紙が舞う長屋での暮らしは、世俗の価値観を拒絶し、ただ「描くこと」だけにすべてを捧げた者たちだけの聖域。その狂気にも似た創造の場に身を置くお栄の姿は、自分らしく生きる道を模索する現代の私たちの胸を、熱く突き刺します。
物語を彩るのは、彼女を取り巻く切なくも温かい人間模様です。良き理解者である絵師・善次郎との軽妙な友情、兄弟子の初五郎へ寄せた淡く、けれど決して成就することのない恋心。そして、日々の疲れを癒やす愛犬さくらとの静かな時間。実際に作品を追っていくと、鉄の女に見えるお栄が、時折見せる年相応の迷いや、女絵師として生きることの難しさに苦悩する姿に、深い共感を抱かずにはいられません。彼女の描く「光と影」は、そのまま彼女自身の人生の明暗を表しているかのようです。
圧巻は、物語後半に押し寄せる怒涛の展開です。長屋を焼き尽くす火事、人々を苦しめる飢饉。絶望が渦巻く江戸の町で、北斎と応為の父娘は、吸い寄せられるように一つの境地へと向かいます。それは、日本人の心の原風景である「富士」。変わりゆく時代の中で、変わらぬ威厳を持ってそびえ立つ山を前に、二人は何を見たのか。二十余年の歳月をかけて、お栄が辿り着いた筆致は、もはや父の模倣ではなく、彼女にしか捉えることのできない深淵な美へと昇華されていきます。
見終えた後、あなたの心には、一本の太い筆の跡が残っているはずです。周囲にどう思われようとも、自分の直感を信じ、磨き抜いた技術で世界を切り拓いていく。お栄が放つ「おーい!」という叫びは、時代を超えて、今を生きる私たちへの力強いエールとして響き渡ります。
これは、歴史の教科書に載る偉人伝ではありません。自分の腕一本で自由に生きようと足掻き、愛し、描き抜いた一人の女性の、血の通った生存記録です。2025年、江戸の夜を焦がすような彼女の情熱を、ぜひその瞳で、その魂で、余すところなく受け止めてください。






















